何かだるい、つらい。心臓や胃の当たりが気分悪い、眠れないのか頭もやーっとする。
というわけで、ここほったらかしです。分かっているのですが、何かしようという気になれません。
読書などの気分転換に、こういった単純なものをプレイするのも一興かも知れません。実機や復刻版は持っていませんが、他には色々とあります。
実機は、当時借りてプレイしたことはあります。でもま、自分で所有せんでもええかなと。ポーズできないとしんどいな、今は。
スーマリはもうさんざん遊んだし、色々と持っているのでパス。どうせなら、こんな感じで色んなG&Wをまとめて入れてほしかったなぁ。
とりあえず、頭に思ったことをアウトプットしておこう。絵を描くスペースがなくなっちゃったが、絵を描きにくい内容ではあるか。
独占・寡占状態はいけませんな。選択肢が無いと、使いづらくなります。企業としては独占したいのでしょうけど。
多分ねぇ、大昔のマイコンベーシックマガジン(ベーマガ)の後ろに載っている、チャレンジ・ハイスコアのページや、パソコン・中古ゲーム基板の販売価格のページも恐らくジーズワードJGでしょう。文字を比べると、一致しますから。
X68000の z's staff pro 68k バージョン2にもこの文字のアウトラインフォントが付属されていたのですが、X6では第1水準までしかありません。しかし、PC-9801のジーズワードJGではこれの第2水準まであったものと推測されます。多分、それじゃないかなと。
相当使いやすかったDTPソフトで、PC98には面白いソフトがあったんだなぁと。ガッタガタの直線アウトラインのフォントですが、ベーマガでは小さい文字のリストなどで使われていることが多く、誰も気にしなかったことでしょう。フォントの書体数が少なかったので、そのあたりは写植に負けますが、本文をワープロ専用機やPCなどで印字して、見出しを写植で…という本や冊子は当時数多くありました。
印刷所に文字打ちを任せるよりも、自分たちで作った方が校正などの手間が少なくなりますからね。アウトラインフォントになったことにより、商業印刷にも耐えられる文字品質になったわけであります。使わない手はありませんよね。「プリンタの解像度が荒い」というのであれば、印刷テクニックの必殺技である「大きく打って縮小する」という方法もあります。何はともあれ、自分たちでちゃんとした印刷物を作れるようになった…というのは、大きな進歩でした。
いずれは、PCで完全版下を作れる時代が来るようになるのかなぁ…と夢想していた時代だったかも知れません。
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ジーズワードJGのバージョン3には、このバージョン2の明朝・ゴシックは付いてこないのですよね。なんか、へなへなとした文字になっちゃって、使いたいのはこれやないねんみたいな。
でも、この本は1987年なんですよね。この時代にジーズワードJGあったっけ?(~~? とすれば、何で作っているの、これ?
昔のハードは、まず仕様を解析することから始まりました。マニュアルに全てのことが書いていなく、またベーシックではハードの全てのことにアクセスできないため、そのあたりを研究といったところから。
ハードを直に叩こうと思ったらマシン語を使わなければいけませんでしたが、MSXやファミコン(ファミリーベーシック)などではベーシックからマシン語をサブルーチンのように呼び出すことができたので、ベーシックとマシン語を行ったり来たりできました。これがとても便利で、処理速度を求める所だけマシン語で書けばいいや…というお気楽プログラミングができました。
Cは簡単にしか理解していませんし、Cを動かすための環境をまず作ることが億劫ですな…というわけで、WinならばHSPでしょうが、もっと簡単に何かさせられないか? と思ったりもします。
チャレンジモードの下に表示されている、スコア合計のゲージがまだちょっと足りませんよね。これを最後まで埋めるか? ということですが、各ステージを必死になって頑張ってスコアを積み足しても、多分微々たる上積みしかできません。
で、ネットのクソゲーwikiや手元の広技苑などを調べてみると、スコア稼ぎの方法が(@@; 亀やメットなどを4000まで踏んで蹴るか、5000まで踏んで起き上がるのを待つ。その後、その亀やメットを蹴って止めて…で毎回5000点が入ると(・・; これをどこでやるか。広技苑では7-1などと書いてあるものの、7-1はメットの滑る範囲が狭すぎて危険。もっといい場所は? と探さなければいけません。
このゲーム、海外では普通に発売されていて、海外版ではチャレンジモードのスコアの目標が日本の書き換え版よりも高く設定されていると。というわけで、海外のページで調べてみると、こんな感じで違います。千点単位で表にしましたが、黄色の字が日本版です。海外と日本で同じステージは青地です。
こうしてみると、ワールド5以降は同じですな。で、調べた時点で自分が海外の目標を達成していないステージは5つ。でも、意識してプレイしたらすぐに達成できました。
それでも、スコア合計のゲージが足りません。ここまでやり切る? ここまでやったら、もうこのゲームを終えてもいいでしょうね。別に、無理してやらなくてもいいとも思っていますが。こんだけやれば十分と思っていますし。
来週にはゲームウォッチ・スーパーマリオが発売されますが、ポケットプリンタで遊んでいるうちに「ああ、そういやこんなんあったな」というわけで、やりこみ要素をチマチマと。
ゲームボーイカラーで遊べるスーパーマリオ…ですが、スーマリなんてもうさんざん遊んでいますよね。ファミコンでもスーファミでも、GBAのファミコンミニでも、ミニファミコンでも持っています。なので、ゲームウォッチはパスですが、GBCはオリジナルをクリアしただけで満足しちゃったので、それではいかんなぁと。
で、裏モードとスーマリ2モードをぶっ通しでクリア。すると、勲章が増えました。あと、やりこみモードの5コイン・スコア・ヨッシーもすべて集めました。これで、また勲章が増えました。勲章の残りは左上のみ。
勲章は
(左上;キノピオ)チャレンジモードのスコアゲージを右端まで満たす、
(右上;ピーチ) チャレンジモードの5コイン・スコア・ヨッシーを全て集める、
(真ん中;マリオ)オリジナルをクリア、
(左下;クッパ)裏スーマリを1*1から8*4まで一気にワープせずにクリア。セーブはしても良いので、電源オフで中断可能、
(右下;ヨッシー)スーマリ2(ルイージのアイコン)をクリア。ワープしても良いので、5-2から8へ行くのが便利ですね
という条件でしょう。オリジナルや裏スーマリなんて、サクッとクリアできます。スーマリ2は、画面が狭いとここまでやりにくいか! ってなぐらい苦労しました。スーマリ2のワールド8なんて、指が覚えていると思っていましたが。
さあ、あとはスコアゲージに挑戦する?
アルバムの2ページ目の中段左と中段右も出ていませんが、海外のネットを調べてみると、中段左は「オリジナルをクリア」、そして中段右は「ハイスコアを、GBCをつないで交換する」とあります。オリジナルはクリアしているんだけどなぁ、マリアの勲章と同じですよね? これだと(==; あと、GBCをつないで交換は無理。もう1本同じソフト(とGBC)が必要。3DSでやっている人は、どうやって出すのだろう? という気がします。2ページ目の残り2枚は気にしないことにします。
半角閉鎖、私にとっては結構衝撃的なのですが(@@; 色々とお世話になっていましたもので(^^;
あと、セガね。もう、ゲーセンは厳しいのでしょうな。今のゲーセンというと、阿漕な設定のUFOキャッチャーというイメージしかなくて、かなり前から行かなくなっていましたから。ゲーセン行っても私がやるゲームないですし、そもそもゲーセン自体ないですし。
ちなみにUFOキャッチャー、私は生まれてこのかた一度たりともプレイしたことがありませんし、一生やる気も無いです。こういうのは苦手でイライラするだけ…と最初から思っていましたので、全く手付けずです。自分はこういうところ賢いなぁと思うところもあります。本当にヤバいものに対して鼻が利くというか。アームがゆるゆるでまともに取れないと悪評が当たり前の機械ですよね、あれって。あーいうのがあったら、ゲーセン行くのが嫌になって当たり前だと思いますわ。
なんにせよ、コロナ禍であります。密を避けよと言われたら、真っ先にこういうところが影響を受けますわな。
日記の間隔が空いてしまいましたな。無理に今日あったことを書かなくても、適当な絵でも描けばいいのでしょうが、なんかシステム手帳や電子ノートなどに比べて、冊子に書くことに抵抗感があるのかな?φ(、、;
大阪都構想、橋下さんが提唱してから10年、前回の否決から5年ですが、それでも具体的な内容がイメージできませんでした。いくら説明を調べても、漠然としかしなかったと。それは、私がアホだからというのもあるのでしょうが、多分私以外の人たちにも、そういった空気感があったのではないかな? と。普通の人は、わざわざ調べようともしませんでしょうし。
あとは、イメージの悪い橋下さんの影がまだ後ろにチラチラしていたと。そもそも、提唱したのも橋下さんでしたし。「毒を以て毒を制す」系統の人でしたので、嫌悪感を持っている人も多いことでしょう。そして「二重行政の解消だけなら、べつに都構想でなくてもいいのでは?」と思われていたこともあったのでしょう。
多分、維新が都構想で本当にやりたかったことは「既得権益を壊すこと」。なので、既得権益側の反発がものすごかったと。ここじゃないかなと思います。
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http://diary2.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/genseven/?Y=2015&M=5&pos=10
5年前の都構想。この頃は、真面目に日記を書いていましたな。